電子レンジの終了音を、なぜ私は一度で迎えに行けないのか

チン、という音にすぐ立てない夜があります
電子レンジが「チン」と鳴った瞬間、私はソファの上で一度、静かに負けます。
別に、聞こえていないわけではありません。
むしろ、聞こえすぎています。
台所から届く、あの短い電子音。
「温まりましたよ」
「今ならちょうどいいですよ」
「早く取り出さないと、また少し冷めますよ」
そんなふうに、やたら正しく、やたら親切で、やたら急かしてくる音です。
けれど私は、すぐには立てません。
スマホを見ている手を止めて、いったん画面を暗くします。
立ち上がろうとして、また座り直します。
クッションを抱えたまま、心の中で小さく言います。
「わかってる。わかってるんだけど、今じゃない」
電子レンジの中には、たぶん昨日の残りものがあります。
ご飯かもしれないし、冷凍のパスタかもしれないし、コンビニで買ったお惣菜かもしれません。
立てばいいだけです。
取り出して、食べればいいだけです。
なのに、たったそれだけのことが、仕事終わりの体には少し重たい日があります。
今日は4月27日。
暦の上では春の終わりに近づき、もうすぐ八十八夜の新茶が恋しくなる頃です。
外を歩けば新緑がまぶしくて、季節はちゃんと前に進んでいます。
でも、私の部屋だけは、なぜか時間が止まったみたいです。
脱いだカーディガンが椅子の背もたれにかかっていて、バッグは床に置いたまま。
洗濯物はたたむ気配をなくし、テーブルの上には朝飲んだカップが残っています。
そして台所では、電子レンジだけが律儀に仕事を終えています。
「チン」と鳴ったのに、誰にも褒められず、誰にも開けてもらえず、ただ黙って待っているのです。
なんだか少し、自分に似ていると思いました。
ちゃんと働いた。
ちゃんと笑った。
ちゃんと返事した。
ちゃんと人の話も聞いた。
でも帰ってきたら、誰も私のふたを開けてくれません。
「おつかれさま」も、
「もう頑張らなくていいよ」も、
自分で自分に言わないと届かないのです。
だから私は、電子レンジの終了音を無視しているようで、本当は自分の疲れを見ないふりしているのかもしれません。
予定のない連休前ほど、部屋の音が大きく聞こえます
ゴールデンウィークが近づくと、街の空気が少しだけ浮き足立ちます。
旅行に行く人。
帰省する人。
友達とランチの予定を入れる人。
恋人と少し遠くまで出かける人。
SNSを開けば、誰かの予定が流れてきます。
「今年のGWはここに行きます」
「久しぶりに旅行」
「家族でおでかけ」
「楽しみすぎる」
そういう投稿を見て、もちろん素直にいいなと思います。
でも同時に、私はスマホを閉じたくなります。
予定がないこと自体は、嫌いではありません。
むしろ、予定がない休日は好きです。
誰にも気を遣わず、好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きなだけだらだらできる。
それはそれで、かなり贅沢です。
でも不思議なことに、世の中全体が「連休は楽しまなきゃ」という空気になると、予定がない自分だけが、少し取り残されたような気持ちになります。
別に不幸ではない。
でも、華やかでもない。
別に寂しくない。
でも、誰かに誘われたかった気もする。
別にお金を使いたいわけじゃない。
でも、節約のために家にいると思うと、少しだけ自分が小さく見える。
そんな夜に鳴る電子レンジの音は、やけにリアルです。
外の世界では、旅行の計画やイベントの話が飛び交っているのに、私の部屋では、温め直したご飯が待っています。
それが悪いわけではありません。
むしろ、生活としては正しいのです。
でも、正しさだけでは満たされない夜があります。
節約している自分。
自炊しようとしている自分。
外食を我慢している自分。
冷蔵庫の中身をちゃんと使い切ろうとしている自分。
どれも偉いはずなのに、なぜか少し情けなくなる日があります。
電子レンジの前に立つと、扉の黒いガラスに自分の顔がぼんやり映ります。
メイクは少し落ちていて、前髪は疲れていて、口角は仕事中よりもずっと正直です。
その顔を見るたびに思います。
「ああ、私、今日もちゃんと大人をやったんだな」
大人になるって、もっとスマートなことだと思っていました。
お気に入りの器に盛りつけて、季節の花を飾って、丁寧に暮らして、余裕のある笑顔で眠る。
そんなものを、どこかで想像していました。
でも実際の大人は、電子レンジの終了音を三回くらい聞き流します。
温めたものを忘れて、もう一度温め直します。
ラップを外すときに少し熱くて、「あつっ」と一人で言います。
その声が部屋に吸い込まれて、ちょっとだけ切なくなります。
それでも食べます。
食べないと、明日の自分がもっとしんどくなるからです。
無視していたのは、電子レンジではありませんでした
その夜、私はいつものように電子レンジの音を無視しました。
一回目の「チン」。
聞こえています。
二回目の催促音。
まだ動けません。
三回目。
さすがに立とうと思いました。
でも、なぜか立てませんでした。
スマホを握ったまま、私はぼんやり天井を見ました。
部屋の照明が少し白すぎて、急に泣きたくなりました。
泣くほどのことは何も起きていません。
仕事で大きな失敗をしたわけでもない。
誰かにひどいことを言われたわけでもない。
恋愛で劇的な事件があったわけでもない。
ただ、電子レンジが鳴っただけです。
なのに、その音がやけに胸に刺さりました。
「早くして」
「ちゃんとして」
「冷めるよ」
「また後回しにするの?」
そんなふうに聞こえたのです。
私は立ち上がって、台所へ行きました。
電子レンジの扉を開けると、白い湯気がふわっと出ました。
中に入っていたのは、昨日作った味噌汁でした。
正直に言うと、作ったというほどのものではありません。
冷蔵庫に残っていた豆腐と、しなしなになりかけた小松菜と、少しだけ残っていたきのこを入れただけです。
でも、その湯気を見た瞬間、なぜか胸がほどけました。
私はその味噌汁を見て、ふと思い出しました。
昨日の夜の私は、今日の私のために、少し多めに作っていたのです。
疲れて帰ってくるだろうから。
きっと外食する気力もないだろうから。
でも、何か温かいものくらい飲めたらいいだろうから。
昨日の私が、今日の私に、ちゃんと小さな優しさを残してくれていたのです。
そのことに気づいた瞬間、電子レンジの音が急に違って聞こえました。
あれは、急かす音ではなかったのかもしれません。
「できたよ」
「待ってるよ」
「昨日のあなたから、今日のあなたへ届いたよ」
そんな音だったのかもしれません。
私は味噌汁を器に移して、テーブルに置きました。
そして、なぜか少しだけ姿勢を正して座りました。
一口飲むと、熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうどいい温かさでした。
そのとき、私はようやくわかりました。
私が無視していたのは、電子レンジの終了音ではありません。
自分が自分に残していた優しさでした。
仕事で疲れているのに、ちゃんと明日の自分を思っていたこと。
予定のない連休前でも、生活を投げ出さずにいたこと。
誰に見せるわけでもないのに、なんとか自分を食べさせようとしていたこと。
それを私は、ただの残りものだと思っていました。
でも違いました。
それは、昨日の私から届いた、ものすごく地味なラブレターだったのです。
冷蔵庫の中でもなく、スマホの通知でもなく、誰かのメッセージでもなく。
電子レンジの中に、ちゃんと愛がありました。
しかも差出人は、私でした。
これって、ちょっとびっくりするくらい、頼もしいことです。
私は誰かに迎えに来てもらう日を、ずっと待っていたのかもしれません。
でも本当は、昨日の私が今日の私を迎えに来ていました。
チン、と鳴るたびに。
湯気が出るたびに。
器を持つ手が温まるたびに。
「大丈夫。あなたはまだ、自分を見捨てていないよ」
そう言われていたのです。
だから今度から、電子レンジの音が鳴っても、すぐに立てない日があっていいと思います。
一回くらい無視してもいい。
二回くらい聞き流してもいい。
三回目でようやく立ってもいい。
それでも扉を開けたとき、そこに温かいものがあるなら、それはちゃんと生活が続いている証拠です。
派手な予定がなくても。
誰かに褒められなくても。
SNSに載せるほど映えなくても。
自分で自分を温め直せるなら、私は案外、ちゃんとやれているのかもしれません。
連休前の夜。
電子レンジの前で味噌汁を抱えながら、私は少しだけ笑いました。
予定のないゴールデンウィークも、悪くないです。
だって私はもう知っています。
私を迎えに来る人は、遠くの誰かじゃなくていいのです。
昨日の私が、今日の私をちゃんと待っていてくれるからです。





