冷凍ボイルホタテで作る夜ごはん、疲れた日にちょうどいい簡単バター醤油パスタ

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ホタテ
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解凍するだけのボイルホタテが救世主だった日、ひとりキッチンの静かなごちそう

ホタテ

夜のスーパーって、いつも少しだけ映画みたいだと思う。蛍光灯の白さがやけに正直で、売り場の通路を歩く自分の影だけが、現実より濃く見える。今日は仕事が終わってから、駅前の小さなスーパーに寄った。19時半。外は冷たくて、マフラーの中に息が逃げていく。レジ横の焼き鳥の匂いが、疲れた頭に「今夜はもうがんばらなくていいよ」って囁いてくる。

がんばらなくていいよ、って言われたい日に限って、私はなぜか「ちゃんとした夕飯」を作ろうとする。ちゃんとした夕飯って何だろう。ひとり暮らしのキッチンで、誰に見せるわけでもない料理に「ちゃんと」を付けるのは、たぶん自分を安心させるため。今日はうまくいかなかったことがあって、そういう日は鍋とか、優しいものが食べたくなるのに、なぜか逆に“映える”方向へ寄せてしまう。そんな自分がちょっと面倒くさい。

失敗したのは、たぶん小さなこと。昼休み、同僚の会話に入ろうとして、タイミングを見誤った。話題が変わる直前に、私は間の悪い補足を挟んでしまって、空気が一瞬だけ止まった。止まったのは、ほんの一瞬。誰も責めてない。むしろみんな優しい。でも私は、あの「止まった一瞬」を、帰り道までポケットに入れて持ち歩いてしまう。冷えた小銭みたいに、指先の感覚を鈍らせてくるやつ。

だから今夜は、少しだけ自分を取り戻したかった。料理って、時間を自分の手の中に戻す作業だと思う。火をつけて、切って、混ぜて、味見して、うんって頷く。たったそれだけで、今日の「失敗」が、ひとつの出来事として棚にしまわれる気がする。

ボイルホタテを解凍した夜

それで、ボイルホタテを買った。

正確に言うと、買ったのは「買う予定を思い出した」というほうが近い。週末にネットで見つけて、冷凍庫のスペースを空けてまで頼んでいたボイルホタテ。1kgで、解凍後は800gくらい、26〜30個くらい入る大粒のやつで、国内産(北海道か青森)って書いてあった。バラ凍結で、ボイル済みだから解凍したらそのまま使える——そんな“便利”が、今日の私にはちょうどよかった。

帰宅して、冷凍庫を開ける。袋越しに触ると、ころんとした塊が指先に当たって、妙に嬉しい。キッチンの狭い作業台にまな板を置く。今夜は「ちゃんと」なんて言葉を、いったん棚の上に押し上げて、ただ自分の気分が上がるものを作ろう。そう思っていたのに。

ここからが、今日のうまくいかなかったことの続きみたいになる。

ホタテを解凍して、バターで焼いて、仕上げに醤油を少し垂らして、白ワイン…はないから料理酒でもいいや、みたいな。そういう“簡単に決まる”予定だった。だけど私は、ホタテを解凍する段階で、微妙に焦ってしまった。お腹が空いていたのもあるし、昼のあの一瞬を早く忘れたかったのもある。冷蔵庫解凍がいいと分かってるのに、つい流水にしてしまう。しかも袋の封をちゃんと閉めていなくて、解凍中に水が少し入った。ホタテは、優しい顔して意外と繊細で、そこに水が入ると、急に“業務用感”が増す。味が落ちるというより、気持ちが落ちる。自分の雑さが、食材にバレる感じがして。

……たぶん、私は今日、そこがいちばん嫌だった。

昼の会話の間の悪さも、袋の封の甘さも、根っこが同じだ。焦っている。人のペースに合わせようとして、置いていかれたくなくて、結果的に自分だけがバタつく。バタついた自分を恥ずかしがって、恥ずかしさを隠そうとして、さらに雑になる。そういうループ。なんで私は、いつも最後に自分のことを雑に扱ってしまうんだろう。

ホタテをキッチンペーパーの上に並べて、そっと水気を取る。指先で押すと、弾力が戻ってくる。白くて、丸くて、少しだけ筋が見える。食材って、触るだけで落ち着く瞬間がある。人間には言えないことを、食材には言える気がする。「今日はさ、うまくやりたかったんだよ」って。

焦げ目と焦りの同じ匂い

ホタテ

フライパンを温めて、バターを落とす。じゅわっと音がして、部屋の空気が一瞬で甘くなる。火加減を中火にして、ホタテを置く。音がいい。音がいいと、それだけで成功した気になる。私は単純だ。だけど次の瞬間、焦げる匂いがした。焦げるほどではない。ほんの少し。でも私は、焦げる匂いを嗅いだ瞬間に、「今日もやっぱりダメだ」って思ってしまう。

この「やっぱり」が厄介だ。たった一個の焦げ目が、今日一日の自分の価値を決めてしまうみたいに感じる。焦げ目のないホタテなんて、現実にはあまりないのに。焦げ目があるから美味しいのに。

私は火を弱めて、ホタテをひっくり返して、もう一度深呼吸した。醤油を入れるタイミングも、いつもより遅らせた。焦げ目を「失敗」扱いするのを、今日は少しだけやめてみる。昼の一瞬も、袋の封の甘さも、焦げ目も、全部を“失敗”にまとめてしまうのは、簡単だ。でも簡単なまとめ方をすると、私は明日また同じところでつまずく気がした。

そこで、予定を変えた。

ホタテバター醤油単品で“キメる”のをやめて、パスタに逃がすことにした。逃がす、って言うと負けみたいだけど、たぶん私に必要なのは、負けないことじゃなくて、破綻させないこと。冷蔵庫に残っていたほうれん草と、冷凍のしめじ。にんにくはチューブ。そこにホタテの旨味が混ざれば、たぶん今夜はそれで充分。ホタテはボイル済みで火が入りすぎると固くなる、ってどこかで見た気がするから、仕上げにさっと混ぜる程度にした。

鍋にお湯を沸かして、塩を入れて、パスタを投入する。湯気が眼鏡を曇らせる。曇った視界の中で、私は思った。こういう曇りって、案外悪くない。はっきり見えないほうが、余計なことを考えないで済む。今日の私は、はっきり見えすぎた。会話の間、相手の表情、自分の声の大きさ、あの一瞬の沈黙。見えすぎて、全部が「ダメ」に見えた。

フライパンの中で、バターとにんにくが香る。しめじを入れて、ほうれん草を入れて、パスタの茹で汁を少し。そこにホタテを戻す。最後に醤油をほんの少しだけ。皿に盛って、ブラックペッパーを振る。写真を撮るほどじゃない。でも、ちゃんと美味しそう。というか、美味しい。実際に食べたら、ちゃんと美味しかった。ホタテの甘さが、ほうれん草の青さと意外に合う。バターと醤油の間に、海が一瞬だけ見える。

だけど、食べながらも、心のどこかが落ち着かない。

美味しいのに、落ち着かない。これ、最近よくある。日常は回っている。ご飯も食べられている。洗濯もした。仕事も行った。なのに、心の中のどこかが、ずっと小さな引っかかりを擦っている。今日の引っかかりは、昼のあの一瞬。そして、そこから連想された「私は焦っている」という感覚。

焦りって、口に出すと急に大げさになる。別に何か大きな期限があるわけじゃない。別に誰かに急かされているわけでもない。だけど、周りが当たり前にできていることを、自分だけができていない気がして、そこから焦る。会話のテンポも、仕事の段取りも、恋愛の駆け引きも、人生の次のステップも。みんなが「次」へ進む速度に、私は追いついていない気がする。

だから私は、冷凍庫に“便利”をストックする。ボイルホタテみたいな、失敗しにくい食材を買う。プロも使う業務用、って言葉に安心する。26〜30個入ってる、って数字に安心する。自分の暮らしが、数えられるものになると、少しだけ不安が薄まる気がする。

でも、今日の私は、その安心の上でさえ焦ってしまった。袋の封を雑にして、水が入って、焦げそうになって、勝手に落ち込んだ。つまり、私は“便利”を使っても、結局自分の焦りからは逃げられなかった。


食べ終わって、皿を洗う。スポンジに泡を立てて、フライパンの底をこする。焦げ目が少し残っていて、こすれば落ちる程度。あんなに嫌だった焦げ目が、泡の中で簡単に消えていく。私は少し笑ってしまった。なんだ、落ちるんじゃん。昼のあの一瞬も、こんなふうに泡で洗えたらいいのに。

でも、泡では洗えないものがある。人の間合いとか、言葉のタイミングとか、沈黙の重さとか。そういうのは水で流せない。だからこそ、私は料理で洗おうとする。火と匂いと手順で、今日を薄めようとする。

それって、逃げなんだろうか。逃げだとして、悪いんだろうか。

私は、逃げることをずっと悪者にしてきた気がする。逃げない人が強い、みたいな。ちゃんと向き合う人が偉い、みたいな。でも向き合うって、たぶん“直視する”ことだけじゃない。今日は直視したら、たぶん私は潰れていた。だから私は、ホタテをパスタに逃がした。自分の焦げ目も、パスタの黒胡椒に紛れさせた。そうして、なんとか今日を食べた。

ふと、冷凍庫をもう一度開ける。袋の中には、まだたくさんのホタテが残っている。ひとつひとつがバラで凍っていて、必要な分だけ取り出せる。便利って、こういうことだ。全部を一度に解凍しなくていい。全部を一度に食べなくていい。今日の分だけでいい。

それを見て、私は少しだけ安心した。

人生も、こうだったらいいのにと思う。全部を一度に片付けなくていい。全部を一度にうまくやらなくていい。今日の分だけ、今日の分だけ。会話の間が悪かったなら、今日の分だけ反省して、明日の分は明日にする。焦って雑になったなら、今日の分だけ丁寧に戻して、明日の分は明日にする。

でも私は、すぐ全部を一度に解凍しようとする。未来の不安までまとめて溶かして、全部を一気に食べて、胃もたれして、また落ち込む。そういう癖がある。だから冷凍庫のホタテは、私に「少しずつでいいよ」って教えてくれているみたいだった。

……いや、教えてくれている、は言い過ぎか。食材に人生を重ねるのは、いつも少し恥ずかしい。でも、こういう恥ずかしさを抱えたまま、誰にも言わないでいるのが、私の生活だ。恥ずかしいことほど、日常には多い。

今夜の問いは、たぶんここに残る。

私は、どうして焦るんだろう。
私は、どうして自分のことを雑に扱ってしまうんだろう。
そして、便利なものに頼りながら、私は何を守ろうとしているんだろう。

答えは出ない。出さなくていい。出したところで、明日また焦るかもしれない。でも、少なくとも今夜の私は、ホタテを焦がしかけても、食べきれない不安を冷凍庫に戻して、ちゃんと皿を洗った。そこまでで充分だと思いたい。

最後に、キッチンの窓を少し開ける。冬の空気が入ってきて、バターの匂いが薄まっていく。外の音が小さく聞こえる。私は、明日の自分に小さくメモを残すみたいに思う——今日の焦げ目は、落ちた。だからたぶん、今日の一瞬も、いつか落ちる。


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