朝がつらい私でも変われた、目覚ましなしで起きたい時間に近づく自己覚醒法のはじめ方

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朝日を浴びる女性
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目を覚ますことより、明日を信じたい気持ちの話

女性

カーテンのすき間から入ってきた朝の光が、思ったより白かった。雨の翌日みたいに空気が少しだけ澄んでいて、部屋の隅に置いた脱ぎっぱなしのカーディガンまで、なんとなく輪郭がはっきりして見える。枕元のスマホを探るより先に、私はいったん天井を見た。

静かだった。外を走る車の音もまだ少なくて、遠くでゴミ収集車みたいな金属っぽい音が一回だけ鳴った。

目覚ましが鳴る前に起きたのかな、と思ってスマホを見ると、ちょうど設定していた時刻の二分前だった。

たった二分なのに、少しだけうれしかった。

こういうの、たぶん誰にも言わない。言ったところで「すごいね」と言われるほどのことでもないし、自分でも、そんなことで機嫌が良くなるのは単純すぎる気がする。でも、アラームに叩き起こされるんじゃなくて、自分で起きられた朝って、それだけで少しだけ自分を信用できる気がする。昨日の夜の私が、今日の朝の私のことを、ちゃんと少しだけ考えてくれていたみたいで。

起きたい時刻に目が覚める「自己覚醒法」という言葉を見かけたのは、たしか何日か前の夜だった。

お風呂に入る前、ベッドに腰かけたままスマホを見ていて、動画もSNSもなんとなく疲れてきて、でも寝るにはまだ気持ちがざわついていて、そんな中でたまたま見つけた。

人は意外と、起きる時間を意識して眠ると、その時刻の前後で自然に目を覚ますことがあるらしい。

研究でも、決めた時刻に外部の助けなしで起きる「self-awakening」は昔から観察されていて、一定数の人にはその傾向があり、習慣的にできる人ほど睡眠・起床時刻が整っていることが示されている。

朝の光や起床時刻の安定が体内時計を整える助けになることも知られていて、結局は魔法みたいな技ではなく、身体のほうを少しずつ“朝に合わせる”話なんだと思う。

大人は基本的に7時間以上の睡眠が推奨されていて、それを削ったまま「気合いで自然に起きる」は、たぶん違う。ちゃんと寝たうえで、同じ時間に起きる練習を重ねていく、地味で真面目な方法らしい。そういうところが、少しだけ好きだった。

派手じゃないし、すぐ人生が変わる感じもない。でも、そういうもののほうが、案外長く残る。

アラームをかけないで寝てみた昨夜

昨夜は、珍しく早めにベッドに入った。早めにと言っても、日付が変わるぎりぎりくらいだったから、世間的には全然早くないのかもしれないけれど、私の中ではかなりまともな部類だった。洗面所の灯りを消して、部屋の間接照明だけにすると、ワンルームの狭さが逆にちょうどよく感じる。テーブルの上にはコンビニで買ったままの水のペットボトルと、読みかけの雑誌、それから使ったあとふたを閉め忘れたリップ。きちんとして見られがちな人の部屋って、実際はこういう中途半端さに満ちていると思う。

自己覚醒法、なんて言葉だけ聞くと、なんだか意識高そうで少し身構える。でもやったことは単純で、寝る前に「7時10分に起きる」と頭の中で何回か唱えただけだった。スマホのアラームは、保険みたいな気持ちで7時15分に設定した。絶対に遅刻できない予定がある日じゃなくてよかったと思う。こういうのは、少し余白のある日じゃないと試せない。

布団に入ってから、なんとなくそわそわした。起きられるかな、という不安より、起きられなかったらちょっと恥ずかしいな、という気持ちのほうが近かった。誰に見せるわけでもないのに、うまくできないと自分の中で気まずい、あの感じ。昔からそういうところがある。テスト前に計画表を作っただけで、もう半分やった気になるくせに、予定通りにいかないと急に全部だめになった気がするところ。

眠る前の私は、ときどき、朝の自分を信用していない。どうせまたギリギリまで寝て、起きて五分で顔を洗って、片方の靴下を探して、駅まで早歩きして、コンビニのカフェラテで無理やり人間らしくなるんだろう、と思っている。だからこそ、アラームより先に起きられたら、ちょっとした裏切りみたいでうれしい。悪い意味じゃなくて、自分に対して「まだそうじゃない日も作れるんだ」と思えるから。

起きた瞬間に、少しだけ優越感があった

そして今朝、本当に二分前に目が覚めた。

最初は偶然だと思った。たまたま眠りが浅くなっただけかもしれないし、外の音で起きたのかもしれない。だけどスマホの黒い画面に指を置いて時間を見た瞬間、私は少しだけ得意になった。誰にも見せられない、小さい優越感だった。こういう朝を、私はたぶん少しバカにしていた気がする。朝活とか、白湯とか、整った暮らしとか、そういうものをどこかで「ちゃんとできる人のもの」だと思って、最初から自分の生活の外に置いていた。

でも、ただアラームより二分早く目が覚めただけで、そんな境界線が少しゆるむ。

大げさに聞こえるけれど、私はこの“二分”にわりと救われた。仕事でも恋愛でも、最近ずっと「間に合っていない」感じがしていたからだと思う。誰にも責められていないのに、なにかに遅れている気がする。周りの結婚報告とか、肌の調子とか、貯金額とか、キャリアのこととか、そういういろんなものに対して、私はいつも一歩遅い。やればできるのかもしれないけど、やる前に疲れている。情報だけはたくさん見て、行動は遅い。それでまた少し落ち込む。

わかる、と思う人はたぶん少なくないはずだ。何かを大きく変えたいわけじゃないのに、毎日ほんの少しずつ“後手”に回っている感じがして、自分で自分の生活に追いつけない日がある。そんなとき、目覚ましより先に起きられたことが、思っていたより効いた。別に人生は変わらないし、肌もきれいにならないし、給料も増えない。でも、朝の最初の一手だけは、自分で打てた気がした。

ただ、そのうれしさの中に、少しだけ意地の悪い気持ちもあった。こんな小さなことでしか、自分を褒められないのか、という気持ち。もっとちゃんと誇れること、たとえば資格とか、貯金とか、恋愛の進展とか、そういうものがあればいいのに。二分前に起きたくらいで喜んでいる自分は、やっぱり少しさびしい。

でも、そのさびしさごと本当なんだと思う。すごい結果じゃなくても、うれしいものはうれしいし、同時に少しみじめでもある。そういう矛盾した感情って、案外いつも生活の真ん中にある。

ちゃんと起きたいんじゃなくて、ちゃんと裏切られたくないだけだった

顔を洗って、ケトルに水を入れて、お湯が沸くまで窓を少し開けた。朝の空気って、たまに必要以上に正直だ。昨日のにおいが部屋から抜けていく感じがして、少し寒かった。ベランダの手すりに残っていた水滴が光っていて、見ているうちに、昨夜の私が「7時10分に起きる」と頭の中で繰り返していたことを思い出した。

そのとき、変なことに気づいた。

私は“ちゃんと起きたい”というより、“朝の自分に裏切られたくない”と思っていたのかもしれない。

起きられないことそのものより、昨夜の自分が今日の自分に託したものが、あっさり破られることのほうがつらい。夜の私は、わりと素直だ。明日は少し早く起きようとか、朝ごはんをちゃんと食べようとか、SNSを見る前に着替えようとか、そういう小さな約束を平気でしてくる。でも朝の私は、かなり現実的で、容赦がない。眠い、だるい、寒い、あと五分。その全部が正しい。

たぶん私は、その夜と朝のあいだにある“不仲”に、ずっと疲れていたんだと思う。

自己覚醒法がもし少し効くのだとしたら、それは特別な能力というより、夜の自分と朝の自分が珍しく握手できる瞬間なのかもしれない。寝る前に時間を意識すること、起きる時刻を一定にすること、朝の光を浴びること。

研究や睡眠の専門家が言っていることは、どれも拍子抜けするくらい地味だけれど、その地味さが逆に信頼できる。体内時計は朝の光や起床の習慣で調整されやすく、習慣的に自己覚醒できる人ほど就寝・起床が安定しやすいという報告もある。つまり、「気合いで起きる」より、「身体が起きやすい条件を先回りして作る」ほうが近い。私はこういう話を聞くと少し安心する。努力不足とか根性不足の話じゃないから。

もちろん、私は明日も同じように起きられる自信はない。今日はたまたまうまくいっただけかもしれないし、週末になれば簡単に崩れると思う。寝る前にスマホを長く見たら、たぶんすぐに遅くなる。そういう脆さも、よく知っている。

それでも、「朝に強い人」と「弱い人」で全部を分けなくていいのかもしれない、とは思った。起きられる日と起きられない日のあいだに、もう少し曖昧な場所がある。私はいつも、できたか、できないか、で自分を裁きすぎる。だけど本当は、二分前に起きた朝みたいに、完全じゃないけど少しだけうまくいった、みたいな日もある。

明日の私に、そこまで期待しないで寝るために

出勤の支度をしながら、洗面台の鏡に映る自分を見た。寝ぐせは少しだけ残っていたし、肌の調子も普通で、特別きれいに見えるわけではなかった。なのに、気分だけは少し違った。たぶん、朝から一回も自分を急かしていなかったからだと思う。たったそれだけで、人はけっこうましになる。

駅までの道で、スマホを開く回数も少なかった。開けばどうせ、誰かの整った朝とか、きれいな部屋とか、うまくいってる恋愛とか、そういうものが流れてくる。見た瞬間は平気でも、あとからじわっと効いてくる。今日はそれを見なくても済んだ。自分の朝だけで、少し手いっぱいだったから。

起きたい時刻に自然と目が覚める、なんて書くと、なんだかすごく自律した人の話みたいに聞こえる。でも、実際の私は全然そんなふうじゃない。だらしないし、夜更かしするし、先のことを考えて不安になるし、休日は昼まで寝ることもある。ただ、そんな私でも、昨日の夜に決めた時刻へ、身体が少しだけ近づいてくれた朝があった。その事実は、思っていたより静かに効いた。

人生を変える方法って、たいてい大きく語られるけれど、ほんとうはこういう“朝の二分”みたいなもののほうが、あとに残る気がする。大きな成功ではないし、誰にも報告しない。でも、自分の中にだけ小さく残る。「ああ、私、全部がだめなわけじゃないんだな」という、かなり控えめな納得。

たぶん明日の夜も、私はまたスマホを見すぎるかもしれないし、アラームを三つかけるかもしれない。それでもいいのだと、きれいには言い切れない。できれば、明日も少しだけちゃんとしていたい。だけど、完璧にちゃんとしたいわけではない。

ただ、朝の自分に、完全には見捨てられたくないだけだ。

だから今夜また寝る前に、私はたぶん小さく時間を決めると思う。叶うかどうかはわからないまま、「7時10分」と頭の中でつぶやく。そうやって明日の私に、期待しすぎないくらいの希望を渡して寝る。

それくらいが、今の私にはちょうどいい。

朝日を浴びる女性

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