何も買わない帰り道が、いちばん心に効いた夜の話|静かに満たされるご褒美の正体

今朝は、カーテンのすき間から入ってくる光がやけに白くて、冬のわりに部屋が明るく見えました。
……そのわりに私の気分は、スマホの電池みたいにじわじわ減っていて、起き上がる前から「今日もやること多いな」の予感だけが先に立っていたんです。
最近、ふと気づくと“ご褒美”のハードルが上がっていました。
頑張ったらコンビニで甘いもの、疲れたらカフェ、嫌なことがあったらネットで何かポチる。そんな自動運転。
でもそれって、満たされるというより「一瞬だけ麻酔」みたいなときもあって、家計より先に心が「またこれ?」って飽きてくる。しかも、飽きてきた自分にちょっと引く。
それで今日は、テーマを決めました。
お金をかけない“ご褒美習慣”。
節約自慢じゃなくて、「買わない」を我慢として扱わないやつ。
もっと言うと、今日の主軸はこれです。
“休むことに、いちいち許可が必要だと思ってしまう自分”。
自分のことなのに、自分に許可申請してる感じ。謎に上司が心の中に住んでる感じ。
(そしてその上司、めっちゃ厳しい)
今日はその“心の上司”を、ちょっとだけ黙らせた日でした。
ひとくち休憩が、思ったより効くらしい(でも私は信じてなかった)

昼前、仕事が詰まってきて、チャットも通知も増えて、あの「頭の中が散らかる音」がしてきたんです。
こういうとき、私の癖はわかりやすくて、休憩の代わりに“買い物”を挟みたくなる。コンビニに行く理由をでっち上げるのが得意。
でも今日は、席を立つ前に「40秒だけ」と決めました。
マグカップを持ったまま、目線を窓の外に投げて、肩を落として、息を吐く。たったそれだけ。
“そんなので回復するなら苦労しないよ”って、内心思うじゃないですか。
私も思ってた。
でも、短い休憩(マイクロブレイク)が集中や疲労感にプラスに働く可能性がある、って話を最近見かけて、半信半疑でメモしてたんですよね。たとえば、40秒の短いマイクロブレイクでも効果が示された研究の紹介もあって、「長く休めない人ほど、短く切る」のがコツらしい。
40秒って、やってみると“ほぼ何もしてない”のに、
終わった瞬間、頭の中のタブが1枚だけ閉じる感じがする。
ゼロにはならないけど、「やばい、無理」が「まあ、やるか」に薄まる。
この“薄まる”って、すごく大事なんだなって思いました。
劇的に元気にならなくていい。
ただ、溺れる前に、口元だけ水面に出すみたいな。
今日の小さな出来事:駅のホームで、私は買わなかった(そして、その本音がちょっと苦かった)

そして今日の“出来事”は、仕事終わりの帰り道です。
駅のホーム、風が冷たくて、コートの前をぎゅっと押さえた瞬間に、いつもの誘惑が来ました。
「今日くらい、甘いの買って帰ろ」って。
自分へのご褒美って、たいていここから始まる。
でも今日は、お財布を開く手が止まりました。止まった理由は立派じゃなくて、単純に、昨日も一昨日も同じことしてたから。
“ご褒美”が、いつのまにか“作業”になってるのが嫌だったんです。
そこで心の中で浮かんだ、誰にも言わなかった本音はこれでした。
「私、甘いものじゃなくて“休んだっていい”が欲しいだけかも」
……いや、もう、言葉にするとちょっと恥ずかしい。
ご褒美って言いながら、実は許可証を買ってただけ。
「これ買ったんだから、今日は疲れていい」って。
疲れるのに許可なんていらないのに。
その瞬間、ちょっとだけ、胸がきゅっとしました。
自分に対して、ケチとかそういう話じゃなくて、
“休むこと”が下手すぎて、全部「支払い」に変換してる自分が、なんか情けなくて。
たぶん、同世代の女性って、これある。
何もしてない時間に罪悪感が湧いて、慌てて何かで埋めたくなるやつ。わかる…。
“味わう”って、才能じゃなくて手数なのかもしれない
家に着いて、部屋の電気をつけたら、いつもの景色なのに今日は少しだけ違って見えました。
理由はたぶん、駅で何も買わなかったから。
部屋に持ち込む“新しい刺激”がないぶん、今あるものが目に入る。
そこでやったのが、すごく地味なご褒美です。
洗面台で手を洗って、湯気の立つ白湯をつくって、ソファに沈む前に、窓を3センチだけ開けました。
冷たい空気が入ってきて、部屋の匂いが少し入れ替わる。
このとき私が意識したのは、「整える」じゃなくて「味わう」。
心理学で“セイバリング(savoring)”って呼ばれていて、ポジティブな体験を意識的に味わって増幅させる考え方らしいんですが、読んだときに「それ、意識高い人の趣味では…?」と思ってました。
でもやってみると、セイバリングって、
“特別な出来事をつくる”じゃなくて、今ある出来事の解像度を上げる作業なんですよね。
白湯の温度、喉を通る速度、窓から入る冬の匂い、
遠くの車の音、部屋の静けさの濃さ。
そういうのを、ただ「ふーん」で流さずに、数秒だけ長く抱える。
地味。ほんとに地味。
だけど不思議と、「今日、何も良いことなかった」って断言しにくくなる。
良いことが起きたというより、良いことが“見える状態”になる感じ。
私の“お金をかけないご褒美習慣”は、買わないことじゃなく「区切ること」だった
ここで、今日の小さな気づきが出てきました。
私が欲しかったのは、節約の達成感でも、ストイックな自分でもなくて、
一日の中に“区切り”がないことの苦しさだったんだと思います。
仕事って、終業しても頭の中で続くじゃないですか。
返信しなきゃ、明日どうしよう、あれ忘れてない?って、
帰宅後もずっとオンラインみたいな状態。
だから私は、区切りのために、何かを買ってた。
レシートを“終業の鐘”にしてた。
でも、区切りって本当は、買わなくても作れる。
40秒のマイクロブレイクでも、窓を3センチ開けるでも、白湯でも、
“ここからは別の時間”って身体に伝える合図になる。
しかも、こういう小さな行動って、気分が落ち気味なときほど効くらしい、という話もあります。行動を小さく始めて回復のきっかけを作る考え方(行動活性化)では、活動のあとに小さなご褒美を設定することも方法として挙げられていました。
「修行じゃない」って注意書きがあるのも、個人的に好きでした。頑張りすぎると、また心の上司が出てくるから。
今日の私は、ここまで派手な成功はしてません。
コンビニをスルーしたのも、たぶん明日は普通に負けるかもしれない。
だけど、今日だけは、
“ご褒美=買うこと”から、少しだけ距離を取れた。
それが、なんか嬉しかったんです。
最後に、ひとつだけ余韻を残して終わります。
もし今夜、あなたが「ご褒美が欲しい」と思ったとき、
それは本当に“何かを手に入れる”ことですか?
それとも、休んでいいって、自分に言ってあげることですか。
(私はたぶん、明日も迷いながら駅を歩きます。それでも、今日の3センチの窓を、ちょっと覚えていたい。)





