頑張りすぎてしまう夜に、ちゃんとしてる人ほど疲れる理由と少し楽になる考え方

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なんとなくしんどい毎日から抜け出したい、無理しないで整える夜の過ごし方

疲れた女性

朝からずっと、誰かに急かされていたわけでもないのに、気づくと自分で自分を追い立てている日がある。


仕事をちゃんとして、感じよく笑って、部屋もそれなりに整えて、将来のことも少しは考えて。


誰に言われたわけでもないのに、「まだ足りない」と思ってしまう。


そんな日ほど、家に帰ってからの静けさが少しだけ痛い。


たぶんあれは、疲れているというより、ずっと自分に「頑張れ」と言いすぎたあとの音なんだと思う。

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頑張ることが正しいと思いすぎた日の、帰り道のこと

コンビニのレジ前で、急にどうでもよくなった

今日は、特別に大きな失敗があったわけじゃなかった。
むしろ、外から見たら「ちゃんとした一日」だったと思う。


朝は遅刻せずに出勤して、お客さんにも笑顔で対応して、職場の人との会話も、たぶん変な空気にはならなかった。頼まれたこともきちんとやったし、途中で面倒だなと思った雑務も、顔には出さずに片づけた。そういう意味では、合格点みたいな一日だった。

でも、夕方になったあたりから、胸の奥にうっすら膜が張るみたいに、なんとなく呼吸が浅くなっていた。


誰かに嫌なことを言われたわけでもない。ミスを責められたわけでもない。なのに、帰るころには、ずっと見えない何かに肩を押されているような疲れ方をしていた。

最寄り駅を出たあと、まっすぐ帰って冷蔵庫のもので済ませるつもりだった。


冷蔵庫には、昨日の夜に買った豆腐と、使い切れていないカット野菜と、賞味期限がそろそろ危ないヨーグルトがあるのを知っていた。こういうとき、頭の中にいる“ちゃんとした私”は言う。


「ここで余計なものを買わずに、家にあるもので済ませたほうがいいよ」
「節約したいんでしょ」
「野菜も食べないとだめだよ」
「こういう小さい積み重ねが、自分をつくるんだから」
本当に、言い方だけ聞くと、全部正しい。

でも今日は、その正しさが少し重たかった。

コンビニに入ると、あたたかいおでんの匂いと、揚げ物ケースの油っぽい空気が混ざっていて、春なのに夜はまだ少し冷えるせいか、それだけでちょっと気がゆるみそうになった。


飲み物の棚の前で、なんとなく炭酸水を手に取って、戻して、また別の棚を見る。お腹は空いているはずなのに、何を食べたいのかよくわからない。たぶん、食べたいものを選びたいんじゃなくて、もう何も考えたくなかったんだと思う。

それで結局、普段ならあまり買わない、小さなカップのグラタンと、スプーンで食べるタイプのプリンをかごに入れた。


栄養バランスもよくないし、値段のわりに量も少ない。冷静なときの私なら、「もっとちゃんとしたもの買いなよ」と思う組み合わせだった。


でも、レジに並んでいるとき、不思議なくらいほっとした。
今日はそれでよかった。


たったそれだけのことなのに、少し泣きそうなくらい、よかった。

たぶん私は、空腹を満たしたかったんじゃなくて、「今日ぐらい、もう頑張らなくていいよ」と、誰かに代わりに言ってほしかったんだと思う。


でも一人暮らしの部屋には、そういうことを気軽に言ってくれる人はいない。
だから代わりに、コンビニの白い明るさの中で、自分で自分に許可を出すしかなかった。

帰宅して、バッグを床に置いたまま、コートも脱ぎきらない状態で電気だけつける。
部屋の照明はいつもより少し白く感じて、空気は静かすぎるくらい静かだった。


洗面台に寄るのも面倒で、そのままベッドに座ってスマホを見る。指だけは元気みたいにInstagramを開いて、かわいい部屋、整った朝ごはん、肌がつるんとした誰かの自撮り、旅行先のきれいな景色、記念日に贈られた花束。そういうものをぼんやり見ていると、別に誰も私を責めていないのに、勝手に自分の輪郭だけが少しずつ薄くなっていく。

そういうとき、いちばんしんどいのは、「私、何にこんなに疲れてるんだろう」と自分でも説明できないことだ。
忙しかったから、で片づけられるほど単純じゃない。


嫌なことがあったから、でもない。
たぶん、“ちゃんとしていた時間”が長すぎたのだと思う。

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「頑張れ」は励ましじゃなく、命令みたいに聞こえる夜がある

昔から、「真面目だよね」と言われることが多かった。
きっと悪い意味じゃないし、むしろ褒め言葉として受け取るべきなんだろうと思う。
実際、真面目でいることで助かったことはたくさんある。


ちゃんと返事をすること、空気を読むこと、相手が望む反応を先回りして考えること、忘れないようにメモすること、少し無理をしてでも感じよく振る舞うこと。そういう細かいことの積み重ねで、仕事も人間関係も大きく崩れずにやってこられた。

でも、その“ちゃんとしてる”は、外で生きていくには便利でも、家に帰ったあとの自分には少しだけ厳しすぎる。

誰も見ていない部屋の中でも、私は私に向かって、ずっと何かを言っている。
もっと頑張らないと。
このままじゃだめ。
疲れてるとか言ってる場合じゃない。
みんなちゃんと働いてる。
もっときれいにならないと。
もっと貯金しないと。
もっとちゃんとした生活しないと。
もっと、もっと、もっと。

その声は、たまに自分の口調じゃない気がする。
親に言われたわけでもない。上司の言葉そのままでもない。


いろんな場面で少しずつ見聞きしてきた「ちゃんとした大人像」みたいなものが、いつの間にか自分の中に住みついて、見張り役みたいになっている。

寝る前にスマホを見ながら、明日こそ早起きしようとか、部屋を片づけようとか、お弁当を作ろうとか、ストレッチしようとか、マッチングアプリの返事もちゃんと返さなきゃとか、副業についても調べないととか、頭の中で小さなタスクが行列をつくる。


でも現実の私は、メイクを落とす前にベッドに横になって、動画の音だけ流しながら、何も決められないまま時間を溶かしている。


そうすると今度は、「ほらね、またできなかった」と、もう一人の私が冷たく言う。

自分でも少し笑ってしまうくらい、家の中ではズボラだ。


洗濯物をたたまない日もあるし、シンクにコップを置いたまま寝ることもあるし、スマホを握ったまま寝落ちして、朝起きたら充電が3%のときもある。
なのに心の中だけは、妙に軍隊みたいだ。
もっとしっかり。
もっと要領よく。
もっと前向きに。
もっと結果を出して。
もっと愛される人になって。
そのくせ、誰かに「無理しないでね」と言われると、少しだけ泣きたくなる。

たぶん私は、「頑張れ」という言葉そのものに疲れたんじゃない。
頑張ることが、いつの間にか“自分を励ます言葉”じゃなくて、“自分を許さないための言葉”になってしまったことに、疲れているんだと思う。

頑張るって、本来は前に進むためのものだったはずなのに、気づけば立ち止まることを禁じる合図みたいになっていた。
疲れている自分を見つけたとき、本当なら「休んでいいよ」で終わるはずなのに、そのあとにすぐ「でも、みんなも頑張ってるし」が続いてしまう。


しんどいと言い切る前に、もっとしんどい人のことを考えてしまう。
甘えてるだけじゃないか、怠けてるだけじゃないか、根性が足りないだけじゃないか。
そうやって、自分の疲れにまで審査を入れてしまう。

でも、疲れって、正当化できたものだけ感じていいわけじゃない。
理由がはっきりしないしんどさも、たぶんちゃんとしんどい。
何があったわけでもないのにだるい日も、別に間違っていない。
機嫌よくできない日があっても、それだけで人間失格になるわけじゃない。

「大人なんだから、自分で自分を機嫌よくしていかないと」みたいな言葉を見かけるたび、たしかにそうなんだけど、その“ちゃんとした正論”がつらい日もあるよなと思う。
機嫌を取ることすらしんどい日は、たぶんある。
ちゃんと立て直せない夜も、全然ある。
そういうときに必要なのは、さらに上手に頑張る方法じゃなくて、崩れたままでも今日は終わっていい、という雑な許可なのかもしれない。

SNSで引用されるなら、たぶん今日いちばん残したいのは、この一文だと思う。
「頑張れなくなったんじゃなくて、頑張れを自分に言いすぎて、心の声が聞こえなくなっていただけかもしれない。」

この言葉を書きながら、少しだけ、自分の中の何かが静かになった。
元気が出たわけじゃない。
前向きになれたわけでもない。
でも、「ああ、そういうことかもしれない」と思えた。
その“かもしれない”くらいの曖昧さが、今日の私にはちょうどよかった。

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優しくなるって、励ますことじゃなく、急かさないことなのかもしれない

髪の毛がきれいな女性

グラタンを温めて、プリンはあとで食べようと思って冷蔵庫に入れて、結局そのままキッチンの前に立ったまま数口食べた。
特別おいしいわけじゃない。


でも、あたたかいものが体に入ると、それだけで少しだけ現実に戻ってこられる。
窓の外はもう暗くて、向かいのマンションのベランダにだけ明かりがついていた。
遠くでバイクの音がして、それが消えると、また部屋が静かになる。


一人暮らしの夜って、自由で気楽なはずなのに、ときどきその静けさが、全部自分で引き受けなきゃいけない感じにもつながってしまう。

それでも今日は、食べ終わった容器をすぐ捨てなかった。
テーブルの上に置いたまま、ぼんやり白湯を飲んだ。
普段の私なら、こんな中途半端な状態が気になる。


片づけるなら片づける、休むなら休む、はっきりしたほうが落ち着く。
でも今日は、その“中途半端”をそのままにしてみた。

そうしたら、少し不思議な感覚になった。
ちゃんとしなきゃ、を一回止めると、急に人生が好転するわけじゃない。


明日になればまた仕事はあるし、将来の不安が消えるわけでもないし、婚活がうまくいく保証もないし、肌がつるっと持ち直すわけでもない。


それでも、今この部屋の中でだけは、「ちゃんとしなくても、私はここにいていい」と思えた。
それはものすごく小さな感覚だったけど、小さいからこそ、たぶん本物だった。

私たちはたぶん、「自分に優しくしよう」と言われると、すぐに何かいいことをしなきゃいけない気になる。
高い入浴剤を買うとか、いい香りのボディクリームを塗るとか、おしゃれなカフェで一人時間を楽しむとか、ちゃんと休息っぽいことをしなきゃいけないような気がする。


もちろん、そういうのが効く日もある。
でも本当にしんどい日は、そういう“丁寧な回復”すら荷物になる。

そういう日に必要なのは、もしかすると、立派な癒やしじゃない。
今日はこれでいい、と雑に終わらせることなのかもしれない。
洗濯物がたたまれていなくても。


アプリの返信が返せていなくても。
明日の準備が完璧じゃなくても。
栄養バランスの取れた夕食じゃなくても。
お風呂に入るまで少し時間がかかっても。
自分の人生を大きく変える一歩なんて、今日みたいな日には別にいらない。

「頑張れ」と言わないことは、諦めることじゃない。
自分を甘やかしすぎることでもない。


ただ、ずっと握りしめていた力を、少しだけゆるめることなんだと思う。
本当に優しい言葉って、背中を押すことよりも、「今日は座ったままでいいよ」と言うことなのかもしれない。

“ちゃんとしてる”ことで守ってきたものは、たくさんある。
でもその一方で、“ちゃんとしてる自分”に置いていかれてしまった気持ちも、きっと少しずつあった。
しんどいときにしんどいと言えないこと。


休みたいのに、休む理由を探してしまうこと。
誰かに褒められるほど、自分の雑な部分を責めてしまうこと。
その全部が、今日みたいな夜に、じわっと浮かび上がってくる。

「わかる…」と思ってくれる人がいるなら、たぶんこういうことなんじゃないかと思う。
ちゃんとして見える人ほど、見えないところで、ちゃんとできない自分を責め続けている。
そして、その責める声はたいてい、自分にしか聞こえない。

だからせめて、自分の中にいるその厳しい声に、毎回従わなくてもいいのかもしれない。
返事をしない日があってもいい。
説得しない日があってもいい。
“もっと頑張れるはず”を、今日は既読スルーしてもいい。

たぶん明日も私は、普通に起きて、普通に出勤して、普通に笑う。
急に生き方が変わるわけじゃない。


それでも今日の夜、自分に向かって「もう少し頑張って」じゃなくて、「今日はそこまででいいよ」と言えたことは、思っていたより大きかった。

大人になると、誰かに止めてもらえることが減る。
学生のころみたいに、目に見えて倒れるまで無理するなよって言ってくれる人も少なくなるし、社会は基本的に、頑張れる人から順番に仕事を渡してくる。


だから自分で自分にブレーキをかけるしかないんだけど、そのブレーキの踏み方を、私たちはあまり教わってこなかった気がする。
止まることより、進むことのほうがえらいと思ってきたから。

でも、進まない日があるから、たぶん壊れずに済むこともある。
何もしない夜があるから、翌朝ぎりぎりでも起きられる日もある。
自分に期待しすぎないことは、逃げじゃなくて、長く生きるための工夫なのかもしれない。

今、部屋の隅に置いたバッグは開けっぱなしだし、鏡の前には朝使ったヘアオイルがそのままあるし、ベッドの上には脱いだカーディガンが少しだけ丸まっている。
きれいじゃない。整ってもいない。


でも、そういう夜の景色の中でしか出てこない本音もある。
ちゃんとしていない部屋で、ちゃんとしていない自分を見ながら、ようやく少し正直になれることもある。

そんなに自分に「頑張れ」と言わなくてもいいんだよ。
この言葉は、誰かを励ますためのきれいな台詞というより、たぶん、夜の自分に向けた小さなメモみたいなものだ。
読んだあとで元気が出なくてもいい。


ただ少しだけ、自分を急かす声が弱くなれば、それで十分だと思う。

明日もまた、ちゃんとしてしまうんだろうと思う。
ちゃんとしてるほうが楽な場面も、きっと多い。
でも、ときどきは思い出したい。


頑張らないと価値がなくなるわけじゃないこと。
立ち止まった夜にしか見えない気持ちがあること。
そして、誰にも見せていない疲れは、ちゃんと疲れとして扱っていいこと。

今夜のあなたも、もしかしたら、もう十分やっているのかもしれない。
それでもまだ、自分に「あと少し頑張れ」と言ってしまいますか。
それとも今日は、その声が聞こえても、聞こえないふりをして眠ってみますか。

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