なぜか胸に残った小さな違和感を、そのまま年末まで連れてきてしまった話

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手紙を書く女性
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今年の終わりに言葉が少し遅れた夜、ひとりの部屋で考えていたこと

夜のキッチン

湯気がいちばん綺麗に見えるのは、夜のキッチンだと思う。
窓ガラスがうっすら白く曇って、外の空気と部屋の温度が、そこだけで静かに境界線を作る。時計はたぶん、21時を少し過ぎていた。コンロの火を弱めて、鍋の中でぐつぐつ言っているスープを見つめながら、私はぼんやり「あ、今年も終わるんだな」って思った。

この文章が、今年最後のブログになる。
最後だからって、特別なことを書こうと思っていたわけじゃない。大掃除のコツとか、来年に向けての目標とか、そういう“ちゃんとしてる感じ”の締め方も一瞬頭をよぎった。でも、今日の私はたぶん、そういう気持ちじゃない。鍋の湯気みたいに、形を保てない感情がずっと浮かんで、すぐに消えていく。

今日、うまくいかなかったことがある。
大事件じゃないし、誰かに話したら「気にしすぎだよ」って笑われる種類のやつ。だけど、こういう小さなつまずきって、心の中で意外と長居する。帰り道、風が冷たくて、マフラーをきゅっと締めたときに、そのモヤっとした瞬間が一緒に喉の奥まで上がってきた。

私は、それを誰にも言っていない。
言うほどのことじゃないって、先に自分で決めてしまったから。
でも、言わないまま年を越すのも、なんだか変な気がして。だから今、ここに置いておく。

うまくいかなかったことは、たぶん「言い方」じゃなくて「余裕」

スマホを見る女性

今日のモヤっとは、ほんとうに些細なところから始まった。

仕事の帰り、駅の改札を抜けたところでスマホが震えた。通知を見た瞬間、胸が一回だけ、すっと冷えた。グループのやりとり。たぶんみんな何気なく進めている話。私は、返信が少し遅れていた。それだけなのに、その画面の文字がなんだか「おそいよ」って言っているみたいに見えた。

実際には書いてない。
“遅い”なんて誰も言ってない。
ただ、私の頭が勝手に補ってしまった。

慌てて返そうとして、文章を打って、消して、打って、また消した。
「すみません、今確認しました」って書いて、なんか固い気がして消す。
「了解です!」って打つと、軽すぎる気がして消す。
絵文字を入れたら媚びてるみたい?と勝手に悩んで消す。
そうこうしているうちに、改札前の流れを詰まらせそうになって、後ろの人の気配が刺さる。私はスマホを握ったまま、結局、駅前の小さな植え込みの横に避難した。

冬の夜は、空気が乾いていて音がよく通る。
誰かの笑い声、コンビニのドアの音、信号の「ピッ…ピッ…」が、やけにくっきり聞こえてくる。私は自分の呼吸だけが少し遅れているみたいな気持ちで、画面を見た。

返した文章は、たぶん普通。
変な言い方もしてない。失礼でもない。
でも送信した瞬間、胸の中で何かが「うまくいかなかった」って決めた。

そのあと、しばらく気持ちが戻ってこなかった。
帰り道にスーパーへ寄る予定だったのに、頭の中が落ち着かなくて、結局そのまま帰宅した。冷蔵庫を開けて、卵と豆腐と、微妙に残った野菜を見て、ため息をつく。何か作らなきゃ、でも何も考えたくない。コンビニへ行くのも億劫で、結局、鍋に水を入れて、家にあるものを放り込んで、スープにした。

鍋は、失敗しない。
少なくとも、誰かに変な誤解をされることはない。
ただ温まって、ただ満たしてくれる。

でも、スープを飲みながらふと思った。
今日うまくいかなかったのって、「返事の内容」じゃなくて、私の余裕のなさだったんじゃないかって。

余裕がある日は、同じ通知を見ても、たぶん私は何も思わない。
「ごめん、今見た!」で終わる。
スタンプ一個で済ませる。
そしてその後、普通にスーパーへ行って、ちゃんと野菜も買う。

なのに今日は、なぜだか一言一言が重かった。
画面の向こうの温度が読めなくて、勝手に寒くなる。
きっと、最近の私は、いろんなことを“うまくやろう”としすぎていた。

今年の終わりって、こういう小さな焦りを呼び起こすのかもしれない。
ちゃんと締めくくらなきゃ。ちゃんと整えなきゃ。ちゃんと来年に繋げなきゃ。
誰に言われたわけでもないのに、自分で自分を急かす。

それにしても。
「返信が遅れた」だけで、こんなに心が揺れるなんて、ちょっと情けない。

情けない、って思った瞬間、さらにモヤっとした。
情けないって言葉を自分に向けるとき、私はだいたい、心のどこかで自分を罰している。
罰したら、次はうまくできる気がするから。

でも、罰してもたぶん、うまくならない。
罰のあとに残るのは、疲れと、少しの孤独だけ。
今日の私はそれを分かっているのに、いつもの癖みたいに、自分に冷たい言葉を落としてしまった。

誰にも言わなかった感情がある。
それはたぶん、「怖かった」だ。

返信が遅れたことが怖いんじゃない。
何かが上手く回らなかったときに、「私はこの輪から少し外側にいる」って感じてしまうのが怖い。
グループの中で、すっと場に馴染んでいる人たちの空気に、私はいつも少し遅れて追いつく。追いつけなかったら置いていかれる気がして、必死になる。

もちろん、現実はそんなにドラマじゃない。
置いていかれるほどのことでもない。
ちゃんと返せば、次の日にはみんな普通に話している。
なのに私は、ほんの数分の「間」で、心の中に小さな冬を作ってしまう。

帰宅して、部屋の電気をつけたとき、あまりに静かで、少し安心した。
誰にも見られていない。
誰にも評価されない。
その安心が、ちょっとだけ悲しかった。

ひとり暮らしの部屋って、自由だけど、自由すぎる日がある。
うまくいかなかったことを、誰かに「そんな日もあるよ」って雑に流してもらう機会がない。
代わりに、私が私に何回も言う。
「大丈夫」「気にしすぎ」「もっとちゃんとしなよ」
優しい言葉と厳しい言葉が、同じ口から出てくる。

今日の違和感は、たぶんそこにあった。
私は「誰かに迷惑をかけたくない」って顔をしながら、実は「私はここにいていい?」って確認したいだけなのかもしれない。
そして確認できないとき、自分の中で勝手に不安を膨らませて、ひとりで疲れる。

この一年を振り返ると、たぶん私は、いろんな場面で「ちゃんと」を増やしてきた。
仕事も、生活も、メイクも、食事も、SNSも。
“ちゃんとする”って便利な言葉で、自分を整えてきた気がする。
整えると、安心する。
でも、整えすぎると、少しのズレが許せなくなる。

今日の返信の数分の遅れが、なぜこんなに刺さったのか。
それはたぶん、私が「ズレ」を怖がっているからだ。
ズレたら、嫌われる気がする。
ズレたら、置いていかれる気がする。
ズレたら、私は“ちゃんとしてない側”に行ってしまう気がする。

でも、ズレって、本当に悪いものなんだろうか。
みんな、どこかしらズレている。
私が思っている“正しいタイミング”や“正しい温度”なんて、たぶん私の中にしかない。

そう考えたとき、ちょっとだけ、気持ちが緩んだ。
緩んだ、というより、息が少し深くなった。

今年最後の記事に書くことが、こんな小さなモヤっとでいいのかって一瞬思った。
もっとキラキラした締め方もできたはずだし、何か役に立つ話もできる。
でも、私はたぶん、こういう小さなモヤっとを抱えたまま年を越す。
そして来年もまた、別の小さなモヤっとに揺れる。

それが私の生活だ。
誰にも見せていない思考って、だいたいこういう地味な揺れでできている。

私は、まだ答えが出ていない。
「気にしすぎ」をやめたいのか、
「気にしてしまう自分」を許したいのか、
それとも、どちらも無理で、ただ揺れながら生きるしかないのか。

ただ一つだけ、今日の違和感から拾えたものがあるとすれば、
私は“正解”を探すのが早すぎる、ということだ。

数分返信が遅れた。
それだけで、私はすぐ「私はだめだ」「私は浮いている」「私は嫌われる」って結論に走った。
まだ何も起きていないのに。
まだ誰も何も言っていないのに。
未来の不安を先回りして、心だけが走り出す。

もし来年、ほんの少しだけ変えられるなら。
その走り出す心を、ほんの一拍だけ止めてみたい。
止められなくてもいい。
でも、「今私は怖がってるんだな」って気づけたら、それだけで少し違うかもしれない。

鍋の湯気は、相変わらず綺麗に揺れている。
形にならないまま、上に消えていく。
今年の私は、たぶんそれに似ている。
まとまらないまま、答えが出ないまま、それでも日々を作っている。

来年の私は、どんなモヤっとを抱えるんだろう。
少しは余裕が増えるのか、それとも別の種類の不安が増えるのか。
分からない。分からないけど、分からないままでも、文章だけは続けたい。

今年最後のブログが、こんなふうに終わるのは、少しだけ不格好で、でも私らしい気がする。

湯気が消える瞬間みたいに、答えの手前で。

手紙を書く女性

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