誰も呼ばない部屋だからこそ残っていた浴室の黒い線、私が高濃度カビ取りジェル119を開けた理由

冬の朝って、部屋の音がよく聞こえる。エアコンの風がカーテンをちょっとだけ揺らす音とか、マグカップに入れたコーヒーの表面が小さく震える感じとか。起きてすぐはちゃんとしている人みたいに見えるのに、洗面所の鏡の前で髪を結びながら、頭の中は「ゴミ袋あと何枚だっけ」とか「今月のカード明細、見たくない」とか、生活の“細かい現実”で渋滞している。
そんな朝、ポストを開けたら、薄い紙が一枚落ちてきた。管理会社からの「排水管点検のお知らせ」。来週の平日、担当の方が各部屋の水回りを確認します、というやつ。読むだけならただの事務連絡なのに、私の心臓はなぜか一拍遅れて、わざとらしくドクンと鳴った。
ここから先の焦りは、たぶん一人暮らしの人ならわかると思う。点検自体が嫌というより、誰かに“暮らしの内側”を覗かれる感じが、ちょっとだけ怖い。しかも水回りって、日々のサボりが正直に出る場所で、私の浴室にはその正直さが黒く点在している。
高濃度カビ取りジェル119に手を伸ばしたのは、怒りじゃなくて「見られたくない」からだった

私、カビが嫌いというより、カビが「私の雑さ」を代弁しているみたいで苦手なんだと思う。タイルの目地の黒ずみとか、ゴムパッキンの細い線のような黒カビって、いきなり人生を壊すわけじゃないのに、目に入るたびに「はい、あなた今日もちゃんとできてません」って言われてる気がして、地味に効く。
点検のお知らせを冷蔵庫にマグネットで留めた瞬間、見ないふりをしてきた浴室の隅が、急にクローズアップされた。いままで「忙しいし」「寒いし」「換気扇回してるから大丈夫でしょ」って、自分に言い訳を重ねてきたのに、紙一枚で全部ひっくり返るの、情けない。
そこで思い出したのが、先日楽天で買ってまだ開けていなかった「高濃度カビ取りジェル119」。お風呂や水周りの頑固なカビに使える、増粘性のジェルタイプで、ゴムパッキンや排水溝まわりにも使えるらしい。内容量は300gの業務用サイズ、という文字が、なぜか頼もしそうに見えた。
ただ、ここでちょっと変な本音が出る。私が今日このジェルに期待していたのは「きれいになる」こと以上に、「人に見られても大丈夫な状態に戻す」ことだった。掃除って、本当は自分のためのはずなのに、私の場合は“誰かの視線のため”に発動することが多い。そこが、なんだか悔しい。
でも悔しいだけで放置して、点検の日に焦って早起きして、慌てて塩素の匂いの中で咳き込む未来は、もっと嫌だった。だから今日は、ちょっとだけ大人しく、ちゃんとやることにした。
玄関のチャイムより先に、浴室の黒い点が私を追い詰める
荷物が届いたのは昼過ぎ。受け取って、そのままキッチンの隅に置いたまま、数時間うろうろしてしまった。開ければいいのに、なぜか気が重い。掃除って、“始める前”がいちばん体力を使う。特に塩素系は、準備が多いし、換気しないとだし、手袋もいるし、気軽に「ちょっとだけ」ってできない。
そして、また本音。私、カビを落とすより「自分の生活を直視する」のが嫌なのかもしれない。黒カビって、ただの汚れなのに、そこに自分のだらしなさとか、余裕のなさとか、あと…誰も家に呼ばない理由とか、そういうのが勝手にくっついてくる。
「点検の人が来るから」っていう外的な理由は、私の背中を押してくれるけど、同時に、私の中の小さなプライドをつつく。誰かのためにしか動けないの?って。……うん、たぶん、けっこうそう。
だから今日は、せめて手順だけは淡々とやることにした。高濃度カビ取りジェル119の使い方は、カビ以外の汚れと水分を落としてから、カビを覆うように塗って、1〜12時間ほど置いて、落ちたらブラシやスポンジでこすりながら流す、という流れ。
成分には次亜塩素酸塩と水酸化カリウム(0.9%)などが含まれていてアルカリ性。強いものほど、ちゃんと扱わないといけない。
換気扇を回して、窓も少し開けて、手袋をして、念のためマスクもつけた。酸性の洗剤と一緒に使うのは危険、という注意喚起を思い出して、シンク下の洗剤たちを目で数えた。
こういうとき、家の中の物が急に“危険物”に見えてくる。必ず換気、皮膚や粘膜の保護、酸性洗剤と併用しない、入浴中に使わない——当たり前の注意なのに、当たり前ができない日に限って事故は起きるから。
ジェルを絞り出して、ゴムパッキンの黒い線の上に、ゆっくり置いていく。増粘性のジェルだから、垂れずにその場に留まってくれるのが、妙にありがたい。
「覆うように」って、言葉の通りで、黒い点が見えなくなるまで白いジェルで隠していくと、変な話、胸のざわざわも少しだけ落ち着いた。汚れを隠してるだけなのに、心まで“仮で片付いた”感じになるの、ちょっと危険だなと思う。
待ち時間に出てくるのは、カビよりも私の言い訳だった
塗ってしまえば、あとは待つだけ。1時間でもいいし、頑固なら長く、という幅の広さが逆に迷う。
私は「点検までまだ日があるし」とか「今日は冷えるし」とか、また言い訳を探しかけて、そこでやめた。今日はやるって決めたんだから、やる。そういう小さな決め方を、私はいつも後回しにしている。
待っている間、部屋で洗濯物をたたんだり、メールを返したりしていると、ふいに「もし点検がなかったら、私は今日これをやった?」って問いが浮かんだ。
たぶん、やらない。やらないまま、「いつかやる」の棚に入れて、棚がいっぱいになって、また新しい“いつか”を積み上げる。
こういう瞬間に、自分の暮らしが“自分のもの”なのか、“管理されるもの”なのか、わからなくなる。仕事では締切があるから動けるのに、家の中では締切がないから止まる。締切がない自由って、優しいようで、たまに残酷。
そして、もうひとつ、今日の主軸になる違和感。私は「人を家に入れない」ことを、快適さのためだと思っていた。散らかってても平気だし、誰にも気を使わなくていいし、好きな時間に寝られるし。でも本当は、家に人を入れないことで、私は“暮らしを見られる怖さ”から逃げていたのかもしれない。
浴室の黒カビは、その怖さが溜まった結果みたいで、なんだか急に、カビが私の秘密を握っているように思えてしまった。
「わかる…」って、声に出して言いたくなる瞬間がある。誰にも責められていないのに、自分の部屋の汚れだけが、やけに刺さるとき。仕事のミスより、浴室の隅の黒い点のほうが、なぜか自分を小さく感じさせるとき。
点検の人に見られたくない、という気持ちは、ちょっと恥ずかしい。けど、その恥ずかしさの奥にあるのは、たぶん「私はちゃんと暮らしてるって思われたい」じゃなくて、「雑な自分を見られたくない」なんだと思う。雑な自分って、つまり疲れてる自分で、余裕がない自分で、誰かに助けてって言えない自分で。
カビ取りをしながら、そんな自分を、私は必死に隠していた。
流したあとに残ったのは、白さより「境界線を自分で引く」感覚

数時間後、浴室に戻ってシャワーで流すと、ジェルがすーっと落ちていって、黒い線が薄くなっているのが見えた。全部が一発で消えるわけじゃないけど、明らかに変わっていて、少しだけホッとした。
レビューで「諦めていた黒カビがきれいになった」みたいな声があるのも、なんかわかる。こういう変化って、派手じゃないけど、確かに気持ちを救う。
ただ、今日の“ささやかな変化”は、汚れが落ちたことより別にあった。私は掃除を「自分の暮らしを守るための境界線」だと思い直した。
人に見られないためにやる掃除は、どこかで自分を責める方向に向かう。でも「私がこの部屋で息をしやすくするため」にやる掃除は、少しだけ優しい。今日、ジェルを塗って待つ時間に、私は自分の言い訳を見つけては、そっと手放す練習をしていた気がする。
それに、もう一個、ちょっと苦い気づき。私は「人を入れない」ことで守ってきたものが、実は“私自身”じゃなくて、“私の雑さがバレない世界”だった可能性。
もちろん一人暮らしを楽しむ気持ちは本物だし、静かな夜に自分だけの音楽を流す時間は、私の大事な栄養。でも、守るために閉めていたドアの内側で、汚れも言い訳も溜めてしまうなら、たまには窓を開けるみたいに、暮らしの一部を外に向けてもいいのかもしれない。
今日は、点検という“他人の予定”に背中を押されただけかもしれない。だけど、その押された勢いで、私は自分の境界線をほんの少しだけ、整えられた。
完璧じゃないし、また黒カビは戻ってくるかもしれないし、そもそも私はきっと、次の締切がないとサボる。そんな自分を知っているから、あんまり大きなことは言えない。
それでも、浴室の匂いが少しだけ軽くなった夜、歯を磨きながら鏡の中の自分に、ほんの数秒だけ「今日、やったじゃん」って思えた。自分を褒めるというより、確認する感じで。
もし今、あなたの家にも、見ないふりをしている黒い点があるなら。そこに乗っかっているのが“汚れ”だけじゃない気がするとき、ありませんか。
その点を消したいのか、点の向こう側にある気持ちを見たくないのか、私もまだうまく区別できないままなんだけど、今日はとりあえず、換気扇を回して、手袋をして、ジェルを塗った。
あなたは最近、誰にも見られない場所を、どんな理由で整えましたか。誰かのため?それとも、自分が息をしやすくするため?





